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Friday Column

No.343

『写真で見てミンスク』

はい、発売になりました新シングル『Listen to the Music』。すでにお聴きいただいてますでしょうか。まだお聴きでないという方は、どうするべきかよくお考えください。この曲については来週あたりにいろいろ書いてみようと思います。

さて、今週はベラルーシの首都・ミンスク旅行記です。初めての街は、シャッターを押す回数も増えます。そんな数多くの写真を別ウィンドウで御覧いただきながら、でも結構長いですし、写真も51枚ありますから、お時間のある時にゆっくりお読みください。で、ここで前言い訳しておきますと、たぶんフィルムが古くて劣化してたのか、現像されたポジフィルムはやたらと光量が多く、実際に見た色がちゃんと出ていませんでした。多少修正は加えていますが、色の感じがちょっとオシイです。22番あたりからフィルムが替わり、本来の色みになります。では、どうぞ。


私にとって歴史的な1日であった11月19日(土)、モスクワでの【現代日本文化フェスティバル】の翌日、20日(日)は午前中にホテルを出て、ダマジェーダヴァ空港へ。ベラルーシの航空会社【BELAVIA/ベラビア】、お昼過ぎのB2-1957便、Boeing737-700でベラルーシの首都・ミンスクへ。(01)

乗客は20人くらいでしょうか、機内はガラガラです。わずか1時間10分で着陸したミンスク第2空港のターミナルビルは、ウルトラセブンに出てくるウルトラ警備隊の基地みたいな、かなり懐かしめの近未来的建築でウキウキします。写真を撮りたかったんですが、カバンごと荷棚に入れちゃってたんで撮れませんでした。へんに旅行慣れすると、こういうとこがダメですね、逆に。カメラはいつも撮れる状態にしておかないと。

入国審査のお嬢さんは二人ともキビシイ表情で「2列に並んでください!」みたいなカッチカチの感じで、でもどっちも美人なのでこっちはこっちでカッチカチです。瞬時に好みのお嬢さんを選択して並んで入国。すでに荷物は出てきてました。ロビーに出ても「タクシー?」と声をかけて来る人はひとりもおらず、多少すっぽ抜けた感じで「TRANSFER」と書かれた黄色い看板のボックスへ行き、タクシーを手配してもらいます。240,000ベラルーシ・ルーブル(以下 bp)。ガイドブックには2010年4月現在のレートで、1bp=0.031円、ってことは、10000bpが310円、ってことは、ロシアルーブルの0がふたつ多いってことか。ってことは、240,000bpが、はん? 7,200円? え? モスクワより高い? や、高いよ。これ白タクじゃない正規タクシーでしょ? なんて思っているうちに私のトランクはさっさと運ばれて、10人乗りくらいのワゴン車に乗り込みました。っつっても客は私ひとり。ま、後で考えようと、景色を見ながら40分、【ホテル・ミンスク】に到着します。

ホテル選びはインターネットであれこれ調べながら、旅行会社の担当者さんにも相談しましたが、首都でありながら選択肢が少ない、めずらしいケースです。いろいろ考えて、最終的には旅行会社さんのすすめる【ホテル・ミンスク】にしたのは正解でした。他に外資系の高級ホテルが2つあり、料金的には上から3番目で、それでもまぁ充分しっかりしたお値段ですが、ソ連時代の最高級みたいですから、重厚でいて質素、ギラギラしてないけど格式ある、みたいな。部屋もナザリェージナスツィ広場に面していて、とても居心地が良いです。(02)

私の旅行は、ただただひたすら街を歩いて、乗り物に乗って、レストランで飲んで食って、という感じなので、場所別に写真をひたすら並べて、ミンスクのイメージを膨らませていただだこうと思います。

■ネザリェージナスツィ広場
まずは、街の中心の広場のひとつネザリェージナスツイ広場。政府関係のなんらかだと思われる大きな建物が整然と並んでいますが、どれがなんの建物かはわかりません。そんな中にひとつだけひっそりと違う空気を出しているのは、聖シモン・聖エレナ教会。大柄で厳し顔のロシア男性の中に、ひとりだけ田舎の素朴な女の子がいる感じが良いです。私の部屋から一望できる広場は、一見無表情でありながら、時間と天候でその表情に微妙な変化がありました。広場の下は地下3階のショッピングモールになっていて、それはミンスク駅下の地下鉄駅までつながっています。(03〜11)

■ネザリェーナジスツィ大通り
「第2次大戦では人口の半分以上が失われ、町は以前の面影をまったく留めないまでに破壊された。そのため、戦後完全な計画に基づく復興が行われ、広い通りにソ連式のビルディングが建ち並ぶ整然とした町並みが続いている。」とガイドブックに書かれていたましたが、それはホントにそのとおりでした。そんなミンスクのメインストリートのひとつであるネザリェーナジスツィ大通りは、ネザリェーナジスツィ広場から市の中心部を北東に直線で約8km伸びています。とりあえずホテルから東に向かって歩きます。5〜6階建ての同じ高さの荘厳でありながら無表情なビルが続き、“十月広場”(12)を通り越した先にふと現れたのは、かわいいドーム型のサーカス劇場(13、14)。ここまで1.5km。今度は逆方向のバスに乗ってみたりしました(15)。・・とか書いてはみたものの、ありゃ、肝心な通りの写真をなんも撮ってなかったです。かろうじて、夜のネザリェーナジスツィ通りが1枚だけありました。(16)

■ベラルーシ国立大学
私の唯一のコレクションである大学オフィシャルTシャツを探しに行きます。ホテルのコンシェルジュのお姉さんに、「ミンスクの大学はどこですか?」と聞くと「何大学ですか?」と言われ、わかんないから「大学のメインの建物はどこですか?」と聞くと「ですから、何大学?」ってことになって、んんんと、あ、そう言えばバクーもトビリシもメインの大学の英語名は“State University”だったので、「State University」と言ってみると、「あぁ、そう」みたいな感じでどこかに電話して調べてくれました。「ネザリェーナジスツィ通りの4番。この通りの反対側です。」ってことでしたので行ってみたら、ホテルの前の大きな広場にある、昨日見た建物がそれでした(09)。正面の入口には警備員もおらず(17)、すんなり入るすぐ右側に書店があり、「Майка/Tシャツ」と言ってみたら、「はい」って感じでTシャツが出てきました。旧ソ連国・ベラルーシですから、入口で警備員さんに止められて入れてもらえないだろうなぁ、という懸念は思いっきりスッポカサレた感じ。こんなにあっさり買えちゃったのはポーランドのワルシャワ大学以来です。価格は70,000bp。けっこうするんだな。サイズはXXLだけしかありませんでしたが、着るわけじゃないのでいいのです(18)。なんとなく中庭もうろついてみました(19、20)。

■ベラルーシ・ルーブル
現地のお金はATMでクレジットカードで引き出してたもんですから、それが日本円でいくらかってのは確認できぬまま、先に書いたようにガイドブックに載ってた10年4月現在で1bp=0.031円ってことで、まぁ1年半でそんなにレートが変わることはないだろうと、おおよそ10,000bp=310円で計算してたんですが、食事してもモノ買っても、なんだかけっこう高いんですね。それでおかしいなぁと思って、モスクワに戻るとき用に持っていた3,000ロシア・ルーブルを試しにベラルーシ・ルーブルに換金してみたら800,000bp。ん? ・・ってことは? ・・・といろいろ計算したところ、10,000bp=約100円ってことじゃん、ということがわかりました。つまり、それまで頭の中で換算していた額の1/3だったのです。はぁ〜、ほんの1年半でそんなにレートが変わっていたとは。ってことは・・・うわっ、すげえ安いんじゃん。ビール100円、ボルシチ300円の世界です。空港からのタクシー代は240,000bp=2,400円だったってことで、ベラ大のTシャツは700円ってことで、市バスなんて1,300bpってことはたったの13円。よろこんでいいんだかなんだかわかんなくなりましたが、そんなことを2日目になってやっとわかったとんちんかんな私でした。(21)

■地下鉄西端駅
美術も歴史もよくわかんない私ですから、旅先ではただただ乗り物に乗って街を歩く。ただそれだけで充分楽しいですし、けっこうクタクタになります。ミンスクの地下鉄は2路線がX字に交差しています(22)。駅名はベラルーシ語とロシア語の表記があり、微妙に違うんですが、ベラルーシ語の発音がロシア語とどのくらい違うのかもわかりませんので、以下駅名はロシア語名で記すことにします。キオスクで買った市街地図を見ながら、とりあえずなんとなく赤い路線の西端の駅『カメンナヤ・ゴルカ』へ行ってみよう。ってことで、地下鉄ではなく、そっち方向っぽい市バスにアテズッポで乗ってみたら見事に着きました。20分くらい走ったでしょうか。地図と窓外を交互に見ていましたが、とにかく団地が多い。それも10数階建ての大型のもので、しかしそのデザインからか、それはマンションというニュアンスではなく、“大団地”と呼びたい景色が続きます。西端のカメンナヤ・ゴルカ駅前にスーパーマーケットがあったのは予想の範囲内ですが、その脇にスロットマシン屋さんがあったのは意外でした。それ以外は、とにかく大団地です。(23〜25)

■トラエツカヤ旧市街区
トラエツカヤ旧市街区という、古い町並みを再現したエリアがあるってことで、『カメンナヤ・ゴルカ』から地下鉄に乗って『ミャーガ』駅へ。地上に出るとぺラモジツァウ大通り(26)。南を向くと聖霊大聖堂が見え(27)、その反対側にスヴィスラチ川があって、その向こうがトラエツカエ旧市街区(28)。東ヨーロッパ町の石造りの建物が集まる旧市街区に、ほとんど人はおらず、まぁ、“ここに来た”ってことで良しとして、なんか食べることにしました。

■レニーナ通り
今度はトラムが走っているあたりに行ってみようと、再び地下鉄の赤い路線に乗って南へ2駅、『ペルシャマイスカヤ』駅で下車。地上に上がると、ホテルの方向に大きな競技場『ディナモ』が見えます(29)。トラムも走ってはいましたが結局乗らず(30)。レニーナ通りの坂を上がって(31)、10月広場あたりに戻ってきました。カフェでビールを1杯飲んで、ネザリェーナスツィ大通りのひとつ裏の通りを歩いてホテルに戻ります(32)。

■地下鉄東端駅
翌日は、青い路線の東端の駅『ウルーチエ』へ来てみました。こちらもやはり大団地が並んでいます。バス停前のキオスクで『KANのロックボンソワ』のリスナープレゼントのトランプを買いました(33、34)。私の番組のおみやげはそれがどこの国であろうがトランプと決まっています。意味はありません。ここからバスに乗って逆方向に戻り、国立図書館に行ってみます。

■ベラルーシ国立図書館
「その特異な建築から、ミンスク市民にアルマーズ(ダイヤモンド)と呼ばれ親しまれている近代的な国立図書館。現在の建物は2006年に完成したもので、中心棟は22階建て、斜方立方八面体の一度見たら忘れられない形状をしている」とガイドブックに載ってましたから、おもしろそうだから見ておこうということで、ウルーチエ駅上からアテズッポでそっち方向の市バスに乗ったら、間もなくかなり遠くから図書館が確認でき、近づいたところでバスを降りました。ガイドブックに載っていたとおりの特異な存在感(35)。屋上展望台へのエレベーターは建物の真裏にあり、いくらか払ってシースルーエレベーターで22回まで上がり、そこから高所恐怖症の股間をブリブリ刺激する鉄橋を渡って屋上に着きました。四方を見渡せるはずが、微妙にスモークの入ったガラスが高いとこまであって、そのスキマから景色を見る感じ。大団地群もよぉく見てると、いろんなデザインがあっておもしろいです(36、37)。22階に降りて、カフェでマッキアートなど飲みながら休憩して下に降り、最寄りの『ヴォストック』駅から再び地下鉄に乗り、今度はカマロフスキー市場に行ってみます。(38〜40)

■カマロフスキー市場
「ミンスク市民の台所、カマロフスキー市場」とガイドブックに小さく載っていたので、きっとトルクメニスタンのアシカバードにあったあんな感じのやつだろうと思い、地図で調べて行ってみました。それは予想どおりにデッカイ体育館のような建物で(41)、中に入ると予想どおりにすんごい数の食料品店がジャンル別にぐわぁぁぁぁぁぁっと並んでました(42)。アシカバードの中央市場と同じく、店員さんはみな青い制服を着ています(43)。街の真ん中にあるこの巨大市場はたぶんソ連式のものなのでしょう。だとすると、そのうちなくなってかっちょいいショッピングセンターとか建っちゃうのかもしれません。だとすると貴重なので、なにも買いませんでしたが、併設の食堂にも一応入ってなんか食べとくことにしました。

■一応トラムにも乗る
私はチンチン電車が大好きです。それはその名の響きが良いからです。バスにも乗ったし、地下鉄にも乗ったし、あとはトラムに乗らねば。というわけで、特に目的地もないんですが、カマロフスキー市場の近くから、一応記念に短い距離だけ乗っときました(44、45)。バスにもトラムにも車掌さんがいて、お金を渡して切符を買って、四角い機械でガチャンとパンチします。

ま、ざっとこんな感じのなにをやったわけでもない、コンピューターも携帯も持ってない、快適な3日間でした。では最後に、ミンスクで食べたものをざっとまとめておきます。

■ミンスクでの6食
20日(日)の昼は、ネザリェージナスツィ大通りにあるベラルーシ料理店【ピェチキ・ラヴァチキ】で、ボルシチとフライドポテトとビール(46)。日本でもよく知られているロシア料理・ボルシチ。日本でのそれは、どちらかというとシチューのようにお肉を煮込んだメイン料理的なイメージもありますが、実際には単なる赤かぶのスープという感じ。白く浮いているのは、ロシア料理にはつきものの“ズメタナ”というサワークリームです。ウェイトエレスさんが小柄で美人でやさしくて、たいへんに良い気分でした。

その晩は、ホテルから徒歩圏内にあるマルクサ通りを歩いてなんとなく見つけたレストラン【グリュンワルト】へ。ガイドブックに載っていたベラルーシの民族料理、じゃがいもで作るパンケーキ“ドラニキ”を食べてみます。いくつもの種類のドラニキがありましたが、店員さんは英語をしゃべったので、さほど時間もかけずに、牛肉をドラニキで挟んで焼いたものを注文。別添えのズメタナをつけながら、赤ワインとともに。たいへんおいしゅうございました(47)。しかし、この時はまだ、お金の換算レートをカンチガイしたままだったので、ビールとドラニキとグラスワイン1杯で4,000円は高いよなぁ、と思ってましたが、実際には1,300円くらいでだったということに翌日気づきました。

21日(月)のお昼は、トラエツカエ旧市街区の近くにある小さなカフェ【ツィンニック】で、肉入りのサリャンカと黒パン。サリャンカとは、ボルシチ同様スープの一種で、オリーブやレモンが入っているのが特徴みたいです。肉入りといっても気持ちだけです。ズメタナでなにやら文字が書かれているようですが、わかりませんでした。(48)

その晩は、前夜と同じくマルクサ通りで、前夜2軒まよって入らなかったほうのレストラン【イ・ヤンキ】へ。ここもメニューに何種類もの“ドラニキ”が載ってました。ビールを飲みながら単語をひとつひとつ辞書で調べて調べて、「豚肉」と「野菜」「こんがり焼かれた」的なワードから、“ジャルコエ”のなんたらのドラニキというのをたのんでみました。するとそれは茶色の壷で出てきました。壷の中には、豚肉と野菜を煮込んだのか炒めたのか、汁なし肉じゃがみたいなものとドラニキが4枚入っていて、上からズメタナがぶりぶりにかかっていました。素朴な味わいでこれまたたいへんおいしゅうございました。(49)

22日(火)のお昼は、カマロフスキー市場に併設された、スタローヴァヤというセルフサービスの庶民的な食堂。基本的には市場で働く皆さんが食べるところみたいですが、そうでない人もOKです。ここでは、目玉焼きののったハンバーグのようなものとパン。ミンスクでの6食中、唯一ズメタナなしのひと皿でした。ビールのプラコップは別料金2円。(50)

その晩は、滞在中にネザリェージスツィ通りで目をつけていたレストランに入ろうとしますが、2軒続けて満席。ってことで、再びマルクサ通りで気になっていたお店に行ってみましたが、看板に書かれた文字を辞書で調べたら“ルーマニア料理”だったので、ちょっとちがうよなぁとやっぱりやめて、んんんどうしようか、と悩み、そんな時に初日のお昼にボルシチを食べたレストラン【ピェチキ・ラヴァチキ】の小柄で美人でやさしいお姉さんの笑顔がふと浮かびました。旅先で同じ店には行かない主義の私ですが、徒歩圏内に選択肢がなくなったので行きました。で、辞書引き引きで豚肉のステーキに決定。それでもやはりズメタナ添え(51)。たいへんおいしゅうございましたが、小柄で美人でやさしいお姉さんには会えませんでした。

はい、というわけでお疲れさまでした。
ミンスクの街、いかがでしたでしょうか。わずか3日間の滞在なので行動範囲は市の中心部だけでしたが、夜間こんなに緊張せずに歩ける街はあまりありません。清潔で秩序正しい都会でした。
よろしかったら是非。・・・って言われたって、・・ですよね。

2011/12/11



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