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Friday Column

No.010

『インドは私を呼んでいたのか』

※No.009『いやんバカ〜ンス、さて何処へ』からの流れでお読みいただいたほうがいいような気がします。

もともとは5月末に休暇をとろうと思ってたんです。3月の『弾き語りばったり #1』終了後も限定CD録音が続いていたため6月のライブツアー『#2』に向けての自己練習はその流れで継続していましたので、5月20日のオフィシャルサイト開設直後に1週間ほど休んでどこかに旅行し、帰って来てからの2週間はツアーに向けての最終調整期間。とそんな都合のいいイメージ計画だったんですが、いやぁ、甘かったですね。やはりサイト開設へむけての作業量が予想をはるかに上回ったことに加えて、開設後の定期的な更新など作業に区切りはありません。しかし、これは前からやりたかったことですし、思いついたイメージをどんどん具体化できますし、なにしろやってて楽しいので非常に素晴らしいことなんですが、そんなこんなでツアーに向けての自己練習が当初の予定ほどうまく進まず、その状態で5月下旬に休むのはたいへん無理がある、という判断から休暇予定は『#2』終了後の7月下旬に延期。しかし、ツアーも半ばの6月末からその先の予定がぽつりぽつりと決定しだし、ふと気がつきゃ、ううぅ〜んやばい、もう7月下旬も休めないじゃん、となり、その後の流れは単純に考えただけでもこれまで以上にどんどん忙しくなっていくことは目に見えている、ってことで7月14日〜18日に無理くり休むしかない、と決定。4泊5日の短いバカンス強行 → ゆっくりしたいが余計な出費は控えたい → こんな時こそマイレ−ジ。と、インターネットでJALマイレ−ジバンクにアセクサし特典航空券予約にかかりました。

目的地は『ベトナム・ハノイ』。去年夏の帰国後から私はベトナム、それもハノイに行きたい、そして本場のフォーを食いまくってやりたいと常々考えていました。しかし残念、決意したのは7月1日、出発日の2週間前、気がつきゃ連休がらみってこともあってか、ハノイ線は帰国便が満席で取れず、しかし日程は行きも帰りも1日もずらせない私。ならばホーチミンシティはどうだ、とやってみましたがこちらは往便が満席で取れず、うぅぅぅ〜む、しまった遅かったかぁ。じゃぁ、どうする、とJALの特典航空券で時間の無駄なく直行直帰できる都市をさぐりましたが、韓国、バンコク、クアラルンプールも今は興味無し、グアムもサイパンも私にはまだ早すぎるし、中国はできれば内陸の方にゆっくり行きたいし、などと思いを巡らせていた時ふと目に入ったのが『デリー』。デリー・・、インドかぁ・・・(ここでインド風の回想BGM、9年ほどフィードバック)。

1996年の12月、「これからはインドでしょう、やっぱ」と意味もなくそんなイメージに向かっていた私は、96年末からデリーに入り → アグラ−でタージ・マハルの写真を撮って → バナラシでガンジス川に沐浴 → 締めにカルカッタのカレーはカラカッタ、とそんな計画をして、当時お世話になっていた旅行会社を通じて飛行機、ホテルをすべて予約してビザ申請、となった時にパスポートの有効残日数がビザ申請のために必要な条件を満たしていないことが発覚、あわててパスポートの更新手続きに向かいました。新しいパスポートの発行直後にビザを申請すれば間に合うと確認し、とりあえず一件落着、ガイドブックを読みながら初インドへのイメージを膨らませていました。しかし、いよいよ明日は新しいパスポート交付日という12月中旬のある日、私は突如、高熱にうなされ近くの病院へ駆け込んだら、熱は自身初の39度台をマーク。咳き痰、鼻づまりなどの風邪の症状はみられず、これといった原因も特定できず、しばらく様子をみたほうがいいでしょう、ということでそのまま入院。病室のベッドで点滴を受けおとなしくしていましたが、翌日パスポート交付日になっても熱は下がらず依然38度台をキープ。しかしこのパスポート受け取りは当然のことながら本人でなければならないし、こっそりタクシー呼んではって受け取りに行こうと思えば行けないでもなかったんですが、この原因不明の高熱がいつ治まるのか、治まったところでそんな病み上がりの私は初インドという新環境に耐えうるのか、などといろいろ考える元気もなく、一応、旅行会社に電話してもう何日か余裕はないものかと訪ねましたが「ビザの特急手配でも今日がリミットです」ってことで、あえなくこの日のパスポート受け取りを断念、帰国予定日直後にはすでに仕事のスケジュールも入っていたため旅程延期はできず、残念無念のインド旅行中止を決定したのでした。結局、その高熱は一体なんだったのかわからぬまま4日後に退院。ある晩、いきつけのBarでその話をしたら、「インドには“呼ばれる”っていうからねぇ・・、呼ばれなかったんだね、今回は・・。」とマスター。「“呼ばれる”んですか・・」(ここでインド風の回想BGMをフェイドアウトして現在に戻る)

と、そんなことを思い出したりしながら、なんとなくデリー直行便の予定を見てみたら、木曜発の日曜もどりがバッチリ飛んでるんですよ。で、調べてみたら往復ともに空席もあり。もしかしてこれって“インドに呼ばれてる”ってことか・・・。いや、しかし今の私が行きたいのはベトナム・ハノイ、それが無理ならせめてホーチミン。リッチなホテルでゆっくり絵でも描いて、とにかくフォーを食いまくれればそれでいい、ということがハッキリしているわけで、ってゆうかこの少数日程で初インドはちょっと無理あり過ぎでしょう。とはいえベトナム便はハノイ、ホーチミンともに空席はなし、デリーなら有り。だからといってど〜してもベトナムでなくてはならないわけもなく、とにかく今、休暇を取っておきたい。もしハノイ、ホーチミンともにキャンセルがでなければ、“私はインドに呼ばれている”と解釈し、心を決めてデリー入りするべきだ。というわけで第1希望でハノイ便、第2希望でホーチミンシティ便のキャンセル待ちをかけて、押さえでデリー便を予約発券しておく、というほぼ“くじ引き”で目的地を決める状態で、『地球の歩き方・インド』を買ってきて初インドへのイメージ調整に入りました。

7月8日、留守番電話に「JALマイレ−ジバンクでございます。お伝えしたいことがございますのでお電話をいただけますでしょうか。」と入ってたので、「ん、取れたか?・・いや、もしかして“木村様はインドに呼ばれております”なんて言われたらどうしよう」とか思いながら電話すると、ホーチミン便が往復とも取れたということでした。出発日も迫っているしホテルの予約などを考えると、この後さらにハノイのキャンセルを待つってのもちょっとしつこいか、ってことでホーチミン便を確保、ハノイのキャンセル待ちを解除して、この時点でデリー便予約を取り消しました。

結果的に今回もやはり私はインドには呼ばれなかったのでしょうか。それともインドは私を呼んでいたのに私があえて気付かぬフリをしたのでしょうか。

というわけで大変長くなりましたが、コラム009のクイズの答えは『ベトナム・ホーチミンシティ』でした。なんやかんやいいながらいやぁ〜、楽しかったですよ。来週はベトナムで食いまくってきた米麺『フォー』について書きたいと思います。また、今回のホーチミン紀行は8月20日に開設される有料サイト『北青山イメージ再開発』内で美しい写真とともに詳しくお伝えしたいと思っています。(宣伝ですよ、ふっふっふ・・・)。
2005/07/22


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