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Friday Column

No.210

『宮崎 釜揚げ 3連チャン』

もうかれこれ3週間ほど前の話になりますが、連休始めの4月29日、九州は宮崎でのライブイベント【EARTH LIVE in MIYAZAKI】に出演しました。今回で4回目、それもなんと17年ぶりの宮崎だったこともあり、たいへん楽しく演奏させていただきました。観に来てくださった皆さま、お礼が遅くなりましたが、ありがとうございました。そんなこともあって今週は宮崎についてサラッと書いてみます。

私の初めての宮崎は小学校1年生のときですから1969年だと思います。鹿児島と宮崎を家族4人で旅行しました。宮崎の“青島”というところでパイナップルをまるごと1コ買って、旅館で切ってもらって食べようということになり、もう私の頭の中はお皿に盛られたパイナップルの魅惑のイメージがぶりぶり広がり、ものすごく楽しみにしていました。旅館の部屋での夕食が終わり、仲居さんがデザートのパイナップルを持ってきてくれました。・・・が、しかし、これはいったいなんなんだ! 大きなお皿に盛られたパイナップルの上に真っ白な砂糖が山のようにぶりぶりかかっていました。うわぁぁぁぁぁ、なんで、なんで、パイナップルに砂糖かけるとぉ〜! そして私は大泣きしました。わんわん声を上げて泣きじゃくりました。そんな私を見て仲居さんは「ごめんなさいね、ごめんなさいねぇ」とあやまり、それに対して私の母は「いいえ、いいえ、いいんですよ、ごめんなさいねぇ」と困り果て、父と兄はパイナップルに砂糖がかかっているだけでわんわん泣いている私を見て、ケタケタケタケタ笑っていました。スイカに塩ってのも子供の私には理解できませんでしたが、いや、今でも理解するつもりはありませんが、パイナップルに砂糖ってのは、考えても見なかったので、ショックだったんですよ、きっと。結局、母親がフォークで砂糖をよけて、それを「こんなんじゃないんだよなぁ、ほんとは」と思いながら食べました。ハッキリ憶えています。当時はまだ贅沢品だった砂糖をサービスでたっぷりかけてくれたんでしょうね。今思うと。

2回目の宮崎は中学校の修学旅行ですから、1976年か77年でしょう。この時も青島に行ったのかなぁ、普通に考えれば行ってるはずですが、よく憶えてません。憶えているのは宿泊先の霧島観光ホテル。ものすごくでっかいジャングル風呂がありました。小型の体育館のようなジャングル風呂には、でっかい岩がゴツゴツあって、ヤシの木みたいな植物がぶりぶり生えていました。クラス毎に時間が割られて入るんですが、風呂だというのに海パンはいてるやつがいるもんですから、海パン野郎を見つけては片っ端から羽交い締めにして脱がしてまわりました。その後、女子が入ってくる時間まで岩の後ろに隠れて待とうということに当然なり、数人で隠れて息を潜めてひたすら待っていたら、「隠れとうやつ、出て来〜い!」と鎌田先生が入ってきたので、すんなり投降し、ケツをバシッとひっぱたかれてジャングル風呂から追い出されました。これもハッキリ憶えています。

3度目の宮崎は1992年3月26日、【KAN CONCERT TOUR 1992 先生、おら先生みたいな先生になる↑】。東京から離島の分校に赴任してきた新米女教師“三良子先生”の時です。東京・大阪などそれまでにもライブをやっていた地区では「今度はそう来たかぁ!」的に盛り上がっていただけたと思いますが、初めての宮崎では完全にキョトン、いやハッキリ言って“ドン引き”、そんな宮崎公演でした。これも結構ハッキリ憶えています。

そして、実に17年ぶりの宮崎が今回のライブイベント、というわけです。“宮崎生まれ”の“宮崎育ち”で“東京”で活動する“プロ・ミュージシャン”、略して【M.M.T.P】というバンドが中軸になったイベントで、その【M.M.T.P】のリーダーである為山五郎さんは91年頃、ギターのセンパイ(中野豊さん)のスケジュールが合わない時に、私のテレビ出演や『イン・ザ・ネイム・オブ・ラブ』プロモーションビデオ撮影などに参加してくれたギタリストで、そんなこともあって今回、九州出身ということで私を指名してくれて出演となったわけです。演奏曲は『まゆみ』『TOKYOMAN』『プロポーズ』『愛は勝つ』の4曲のみでしたが、なんせ17年ぶりですから、ほんとに楽しかったです。ドラムはサザンオールスターズの松田弘さんですから、一緒に演奏できてうれしかったです。

そんな宮崎に行くにあたり「宮崎と言えば!」と私の頭に浮かんだのは“釜揚げうどん”です。今回1泊2日の宮崎で昼・夜中・昼の3回、“釜揚げうどん”を食ってやると決めて、スカイネットアジア航空で宮崎入りしました。事前にインターネットでいろいろ調べて5軒ほどピックアップしてプリントアウトして臨みましたが、主催者の方にすでに仕切っていただいていたようで、『重乃井』という有名店に行きました。同じ飛行機で着いた出演者・田中健さんと司会の小野真弓さんと同じ卓につき、釜揚げうどんと鯖寿司を食べました。実は17年前にも来たことを店の女将さんは憶えていてくれて、「お久しぶりです、ぜんぜん変わらないですねぇ」と当時一緒に撮った写真を見せてくれました。『重乃井』の釜揚げうどん、私の記憶ではかなり細麺のイメージだったんですが、そうでもなく普通の太さのうどんで、甘みが強く味の濃いつけ汁は記憶のとおりでした。たいへんおいしゅうございました。


老舗『重乃井』の
 

釜揚げうどん(並)

ライブイベントは楽しく終わり、終演後は郷土料理の居酒屋さんで打ち上げです。なんやかんやわいわい飲んで、2軒目3軒目と流れます。九州男児が九州で酒を飲んでいる以上、とことん飲まなければならないのです。それが礼儀ってもんです。そんなわけで、3軒目で3時半をまわっていることに気づき、「やばい、釜揚げうどんが閉まるばい」と思って、その場をフェイドアウト。同行の近藤くんと街をうろつき、事前に調べていた『織田薪』は深夜までやっているはずだと探して見つけましたが、すでに閉店。うぅぅ、どうすりゃいいんだ。商店街を歩いている兄ちゃんにも聞いてみましたが、もうこの時間はないってことです。客待ちをしているタクシーの運転手さんにも聞いてみましたが、やはり同じ回答でした。「もうしょうがないね、ラーメンにするか」と近くにあったラーメン店『まるごう』に入ったのは午前4時。私たちが入った直後に看板は消され、のれんを中に入れてました。あぁ、あぶなかった。ラーメンまで食いそびれるとこでした。私の頭は完全に釜揚げうどんになっているにもかかわらず、『まるごう』のラーメンはかなり旨かったです。


焼酎を持ったまま2軒目へ向かうVoiceのお二人
 

『まるごう』のラーメン

翌朝は10時半に予約していたレンタカーに借りに宮崎駅前へ。せっかく19年ぶりの宮崎だというのに、忙しがってさっさと東京に帰ってしまう私ではありません。17時の飛行機までの6時間に2回は釜揚げうどんを食べなければならないのです。事前に決めていた“昼・夜中・昼”の釜揚げ3連チャンの予定は“昼・午前・午後”に変わり、まず午前の釜揚げを食べに行きます。

事前に調べておいた『戸隠 本店』の住所をカーナビに登録して走ります。10分くらいで“目的地付近”に到着したので、コインパーキングに車を停めて、商店街を歩きましたが、目当ての店は見つからず、仕方がないので胃薬を買いがてら薬局に入り、「この辺りに『戸隠』ってお店ありませんか?」と聞くと、「あるけど、夜しかやってないよ」ってことでした。あれ、おかしいなぁ、ネットの情報では昼もやってるはずなんですが。まぁ仕方ないってことで第二候補の『第二江戸屋』に変更。『第二江戸屋』だから第二候補なのです。プリントアウトしていた地図を見ると、ここから遠くなさそうなので、カーナビは使わず行ってみます。いやしかし、どうもそれらしき場所にたどり着かず、どころかぜんぜん関係ない宮崎駅前に戻ってしまいました。なんか最近方向感覚が鈍ってきてますか。くやしいけれどカーナビに住所を入力して指示どおりに走ってなんとか到着しました。

『第二江戸屋』は御夫婦でやっているこじんまりとしたお店です。釜揚げうどんの並を注文すると「大盛りサービスですけどいいですか?」と言われましたが、「いえ、並で結構です。」と答えました。なぜなら私は17時の飛行機の乗る前にもう一度釜揚げうどんを食べなければならないからです。ここのうどんは細麺で、つけ汁は柚子がさわやかに香り、二日酔いの午前中に食べるにはちょうどいい感じでした。最後につけ汁を薄めながらすすっていると、天かすだと思い込んでいた粒状のものに予期せぬ歯ごたえが。なんだこりゃとよくみてみると、それは大豆でした。へぇ、こんなんも入ってるんですね。たいへんおいしゅうございました。ごちそうさまとお会計をすると“50円割引券”をもらいました。つっても次いつ宮崎に来るかはわかりませんが、有効期限は書かれてないので大事にとっておくことにします。それか次に宮崎に行く誰かにあげます。


『第二江戸屋』の
 

釜揚げうどん(並)

さて、これからどうするか。レンタカーを借りたはいいが、釜揚げうどんを食べる以外にこれといって目的はありません。昨晩の打ち上げで、舞台監督の綾部さんが、高城町というところに『後藤資料館』という古い日本家屋があって、「そこはいいですよぉ、私は休みの日に、ぼ〜っとしに行くんですよ。」と言っていたので、そこに行ってみることにしました。カーナビで検索するとあっさり出てきたので目的地登録。宮崎ICから宮崎自動車道に乗り、緑濃い谷合を激走して都城ICで降ります。そこからほんの10分で高城町の『旧後藤家商家交流資料館』に到着しました。


緑濃い宮崎自動車道を激走
 

旧後藤家商家交流資料館

車を停めて明治33年に建てられたという日本家屋の中に入ると、広い畳の部屋に重厚な5月人形が飾ってありますが、誰もいません。数分ぼ〜っと待っていると、「あぁ、すいませんね」と女性がやってきて、「どうぞ、ゆっくりしてってください」と小さい案内書をくれたので、靴を脱いで上がりました。広い畳の部屋がいくつもあり、火鉢や明治時代のピアノもありました。2階に上がるとなにもない畳の部屋複数があります。明るい角部屋に腰を下ろすと、さっきの女性がお茶とお菓子を持ってきてくれました。「ねぇ、気持ちいいでしょう。お昼寝していかれる方もいらっしゃいますよ。どうぞ、よろしかったらお昼寝してもかまいませんから」ってことでした。ううん、たしかに思いっきり寝っころがってぐーぐー寝たい空間です。しかし、昨夜は遅くまで飲んでそんなに寝てないので、ここで昼寝ぶっこいて起きたら飛行機の時間だった、なんてことも充分起こり得そうだったので、昼寝はせず、しばらくぼ〜っとしてました。


2階の部屋でぼ〜っとしながら
 

お茶とお菓子をいただいた

さて、このあとどこへ行くか。そうだ、1969年に家族旅行で行った青島にでも行ってみるかと思い、飛行機の時間から次の釜揚げうどんも含めてイメージ逆算すると、それほどゆっくり時間はありません。そろそろと1階に降りてみます。明治時代のピアノには“Nihon Gakki Seizou Kabushiki Kaisha”と書いてありました。現在のYAMAHAの母体だと思います。「弾いてもかまいませんよ」というので、10分くらい弾きました。金属弦を叩くカチンカチンという音色が昔っぽく趣がありました。2本のろうそく台もステキです。


1階の部屋には
 

明治時代のピアノがあった

おじゃましました、と『旧後藤資料館』を出て車に乗り、カーナビに“青島”を目的地登録して、再び都城ICから自動車道に乗り、宮崎ICで降りたら、ひたすら青島方面へ走ります。高いヤシの木が延々と立ち並ぶ道路は南国情緒ぶり溢れです。迷うことなく“青島”に到着。駐車場に車を停めて青島に向かって狭い商店街を歩きます。すると、おっ、淡く期待していたものがありましたありました。観光地によくある顔部がくりぬかれたカキワリです。これ見つけちゃった以上、写真撮らずには素通りするわけには行きません。三脚を立ててセルフ撮影の準備をしますが、ここは青島神社の参道なんですね。平日とは言え連休だからでしょうか、狭い通りに思ったより人が多く行き来するするもんですから、なかなか撮影タイミングがつかめませんでしたが、なんとか撮りました。更に歩くと青島へ渡る弥生橋の手前に団体さんの記念写真用の長椅子があります。こういうとこでひとりで撮るってのもなかなか贅沢でいい感じです。


淡く期待したカキワリ発見
 

青島をバックにひとり記念撮影

最初に青島に来たのは69年。中学の修学旅行でも来てるとすると、約33年ぶり3度目の青島です。景色が何も変わってないのがいいです。島を取り囲む“鬼の洗濯岩”ってのは、近くで見れば見るほど人工的に作られた緩衝礁のように見えますが、天然のものなんですね、すごいです。青島神社の入口に茶屋があり、“日向夏の生ジューズ”と書かれていたので、なんだか飲まなきゃ行けない気がして飲みました。


 


 


いやぁなにしろ天気が良くてよかった。暑くもなく寒くもなく気持ちいいです。そんなうちにもうすぐ3時。適当に腹も減ってきたので、宮崎で3杯目の釜揚げうどんを食べることにします。事前に調べておいたうどん店は『岩見』は青島駅前にありました。小上がりにあがって釜揚げうどんを注文。釜揚げうどんは注文してから出てくるまで思ったより時間がかかります。午後3時をまわっているのにお客さんはたくさんいて、20分ほどまったかもしれません。釜揚げうどんを持ってきた御主人が「失礼ですけど、KANさんですよね」と言うので「はい」と言うと、「あとで、一緒に写真撮ってもらってもいいですか」ってことでした。うどんはほどよい歯ごたえ、つけ汁も濃すぎず甘すぎずちょうどいい感じです。たいへんおいしゅうございました。お会計を済ませて、御主人が「店の前で、写真いいですか?」ってことで、「えぇ、もちろん」と外に出ようとすると、厨房の奥からチビッコがもじもじしながらするすると6人も出てきてました。どうやら近所のお友達が集まったようです。で、お店ののれんの前でずらっと並んで記念撮影。チビッコたちとの写真はその後お店に飾られているのでしょうか。宮崎の方、もし行く機会があったら確認してみてください。


青島駅前の『岩見』の
 

釜揚げうどん(並)

さ、これで“宮崎 釜揚げ 3連チャン”が成立。ちなみに“連チャン”ってのは、私はやりませんが麻雀で使われる言葉ですね。麻雀用語には中国語由来のものが多く、“チャン”とは【場/chang】。これはたぶん麻雀1ゲームを【場】と表すんじゃないかと思います。で、続けてやることを“連チャン”というんでしょう。なぜ、私がそれを今回のタイトルに使ったかというと、それは単に語呂・リズムがよかったからです。もひとつちなみに、何も書かれてない麻雀牌を“パイパン”と言いますが、これも同じく中国語で【白板/bai ban】です。なんですか?誰も何も悪くいないですよ。

駐車場に戻り一路宮崎空港へ。ヤシの木が立ち並ぶ南国情緒ぶり溢れロードを戻り、予定どおり16時に空港に到着。ほんの6時間弱のひとり宮崎観光はここで終了です。私の場合、車ってのはあくまで交通手段としか考えてませんでしたが、思えば去年くらいからなんだかドライブがけっこう好きになってきたような気もします。そのうち海外をレンタカーでドライブ、なんてのもいいかもと思えてきました。


南国情緒ぶり溢れ
 

また来るぜ、宮崎

すっかり旅行記づいている『金曜コラム』、そんな流れに乗って来週は、トルクメニスタンの経由地として計3泊したモスクワについて書こうと思っています。そんなことより、週あけに秋に向けての重要なお知らせがありますので、このサイトをこまめにのぞいていただければと思います。

2009/05/22



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