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History of KAN

大渡航時代の幕開け

大渡航時代の幕開け
90年5月25日、シングル『健全 安全 好青年』をリリース。ひと月後の6月25日には大阪のカラオケパブでモノマネ中に右膝靱帯及び半月板を損傷して帰京後即入院。そのまたひと月後の7月25日、サポート・アレンジャーに小林信吾氏を迎えて制作された5枚目のアルバム『野球選手が夢だった』をリリース。発売数カ月後、このアルバムの収録曲であった『愛は勝つ』が各方面から徐々に評価され始め、人気テレビ番組の多大な影響力にも後押しされ、91年にかけてそれまでは予想していなかった多くの皆さんに聴いていただける状況へと発展。6作目『ゆっくり風呂につかりたい』のリリースを挟み、91年末にはレコード大賞をはじめとするいくつかの大きな賞を受賞、『愛は勝つ』は多くの皆さんの偉大な力によりヒット曲と呼ばれる楽曲に成長した。これに伴い、コンサートツアーの公演数も加速的に増加し、それまでため込んでいた多くの斬新なアイディアと優秀な演奏者との相乗効果で、他に類を見ないコンサート演出を開発、実践し、そんな中、独自のステージスタイル確立へと数多くの実験も繰り返した。92年は初のベスト盤『めずらしい人生』以外、オリジナルアルバムは発表しなかったが、93年には『TOKYOMAN』『弱い男の固い意志』と2枚もアルバムを出している。個人的には90年9月24日、28歳の誕生日に中国・北京へ初めての単身海外渡航。 翌91年9月はじめには大学生時代からの憧れであったフランス・パリに初渡航。帰国後、10月初旬にかけて声帯結節により1ヶ月の休養。この間、数回の中国旅行で最低限の会話能力の必要性を痛感し、93年4月からは北京語を自主学習。私の“大渡航時代”は人知れずしかし明らかにその幕を開けていた。

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