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Friday Column

No.220

『マイケル・ジャクソンさんと私』

買いそびれたぁ〜! なにをって、もちろんPerfumeの新作アルバムの初回盤ですよ。特典DVDで「ワンルーム・ディスコ」の振付けをコピーしようと思ってたのにぃ。う〜んもう、バカバカバカバカ、オレのバカッ! でもね、良いですよアルバム『凵x。それについては、ゆっくり聴き込んで後日書くとして、「ワンルーム・ディスコ」の振りをコピーできないのであれば、マイケル・ジャクソンの動きをもう一度研究し直すべきじゃないかということで、買ってきました。唯一の公式ライブ映像『Live in Bucharest』。

ブカレストってどこですか? ルーマニアですよ。共産党の一党独裁が廃止、民主化されたのが89年。チャウシェスク大統領夫妻の処刑映像が全世界に流れたのは衝撃的でした。そのほんの3年後にブカレストで演奏し、それを商品化することはアメリカ的に大きな意味があったのでしょうね。昔ビデオをコピーは持ってたんですが、もうデッキもないですし、改めて正規盤を買って見てみたんですが、いやぁ、やはりとんでもない、人間離れした動きです。というわけで、今週は最も好きなアーティストのひとり、マイケル・ジャクソンさんと私について書いてみようと思います。

私の音楽活動を昔から応援してくださっている皆さまには、私がどのくらいマイケル・ジャクソンさんを崇拝しているかは充分わかっていただいていることでしょうが、そうでない方には私がマイケルさんの大ファンだと言うと、意外なリアクションを示すことが多いです。

私がマイケル・ジャクソンさんのファンになったのは、例にもれず82年の『Thriller』から。当時アルバイトしていた六本木のディスコ『玉椿』では、「Wanna Be Startin’ Somethin’」や「Beat It」や「Billy Jean」が当然のように毎日かかってましたし、私がいたキャッシュバーでのフロアでは「Thriller」のビデオがひっきりなしに流れてました。そりゃあの映像観てファンにならないやつはよほどの偏屈者でしょう。そういう意味では当時の私はまだ偏屈者ではなかったんだなと思えます。

初めてコンサートを観たのは、87年『BAD Tour』、まだ東京ドームができる前の後楽園球場。デビューしたての私は同じ事務所の森高千里ちゃんと二人っきりで手をつないで観に行きました。というのはウソで、事務所のスタッフも含めて4人で観に行きました。アリーナ中央のカメラのタワーのまわりのブロックだけ、関係招待者席だったのか1段高くなってまして、私たちの席はその後ろのブロックだっもんですから、その1段高くなったブロックの人たちが立っちゃったらもうステージなんて全く見えません。もちろん私のまわりの多くの人が「あの人たちを座らせて!」と警備員に何度も詰め寄って、警備員も何度も言いに行ったようですが、だからと言って生の動くマイケル・ジャクソンを目の当たりにしておとなしく座ってる人などいません。でも時々人と人のスキマからステージが見えるタイミングもあったんですが、そん時は場所を変わって森高千里ちゃんに見せてあげる優しい私でしたから、結局ステージ両翼のなんたらビジョンの映像しか記憶に残ってません。それでもなんだかとんでもなくすげぇコンサートだったという感触は残ったんだからスゴイですよね。

2度目は92年の東京ドームでの『DANGEROUS Tour』。こん時はチケット業界取りしましたから、たいへんに観やすい席で、それはもう、ぶったまげ〜のおったまげ〜ですよ。直後、夜な夜な遊んでいた札幌のあるバーでよく顔を合わせていたアフリカンアメリカンの女性DJに「マイケル・ジャクソン最高だったよ」と話すと、「彼は歌ってないわ。全部口パクよ。No.1はPRINCEよ」とムキになってきたので、「そんなことないさ、もちろん演出上口パクの曲もあっただろうけど、Showとして、PerformanceとしてはMichaelがNo.1さ」と言い返すと、「キィー! おだまり! No.1はPRINCEよ、いいこと、おぼえてらっしゃい!」と彼女は更にムキになってしまったので、カクテルを一杯おごって許してもらいました。

ま、とにかく、92年のステージにとてつもない衝撃を受けた私は、「よし、オレもこれをやろう」と心に決めます。で、まずはその動きを研究しなければ、と入手したのが『Live in Bucharest』のビデオです。なんどもなんども巻き戻してコマ送りして、ターンやキメポーズのパターンを研究したものです。今でも私のバンドライブでのターンやキメポーズはマイケル・ジャクソンさんを基本としていることは、誰に言ってもなかなかわかってもらえません。ちなみにフレディ・マーキュリー式のターンもあり、また94年頃修得した“キムタクターン”は、近年、安藤美姫ちゃんのニュアンスが加わって“ミキティターン”へと進化しましたが、これも誰に言ってもキョトンです。まぁいいでしょう。とにかく、ビデオを見てマイケル・ジャクソンさんの動きをマジで研究したのです。

で、“次のコンサートでオレはマイケル・ジャクソンになる”と決意して発案したのが、弱くて小っちゃい“マイケル・弱小”です。しかし、コンサートに“マイケル・弱小”を登場させるには、それなりの曲が必要ではないか、ということでそのためだけに作ったのが『甘海老』という曲、93年のアルバム『弱い男の固い意志』に入ってます。果たして94年のツアー【Worldwide Global Show】に“マイケル・弱小”は登場します。しかし、このキャラクターだけでは浮き過ぎるのではないか、と考案したのが、お椀の椀に田んぼの田でおなじみの“スティーブ・椀田”さんだったのです。

で、96年の『HISTORY Tour』、同じく東京ドームで3度目のマイケルさんのステージを観ます。これがまた、前回にも増してとんでもなかったです、ぶっ倒れました。本人の動きはややシャープさに欠けていましたが、いやしかし、そのShowとしての内容の濃さは比類なきものでした。その影響は私の98年のツアー【LIONFLOORLADY】にモロに反映します。オープニングの全身メタルの衣裳を模倣して登場するために作った曲は『STALK』。曲はマイケル・ジャクソンさんのエッセンスをふんだんに盛り込んだ秀作でしたが、歌詞があまりにテキトーだったためCD化はされずLIVE DVD『あいつとおれ』にのみ収録されています。そして世界の子ども達と大合唱する『Heal The World』を目標に作ったのが『SAIGON』。世界の子ども達のカキワリを、腕の部分が動くように作ってもらって、大合唱しました。これもLIVE DVD『あいつとおれ』に、アルバムでは『TIGERSONGWRITER』に収録されています。と、このようにマイケル・ジャクソンさんは私の最も好きなアーティストのひとりなのです。

亡くなったのを知った時は、そりゃビックリしましたよ。でも、「なんでぇ、どうしてぇ、マイケルぅ〜、うわぁぁぁん」みたいな感じではありません。その音楽や映像は何度も見聴きしているとしても、マイケル・ジャクソンという存在自体は私の日常生活とは異次元のもの、という感覚でしたしね。そういう意味ではジョン・レノンさんが亡くなった時は、マジでショックでしたよ。80年の12月、私は高校3年生。“ミートルズ”を一緒にやっていた山城辰也と、学校帰りに近所のお好み焼き屋さん『ひらの』で焼きそばを食べていた時、店のテレビのニュースで知りました。「元ビートルズのジョン・レノンさんが、殺害されました!」とキャスターの俵孝太郎さんの甲高い声が聞こえたとき、山城とふたりで「うぇ!」とテレビのほうを見て、直後見つめあったまま固まりました。そう“固まった”という感覚はあの時が初めてで、以降一度もないような気がします。まだ18歳だったですしね、ホントにショックでした。

46歳になっちゃった今の私に、マイケル・ジャクソンさん死亡のニュースは、そのような衝撃ではなく、「あらららら・・・、そうですか。はぁぁ〜、たいへんな人生だったんだろうなぁ」といったとても静かな脱力感でした。最後に“マイケル・弱小”の勇姿を並べて、今週はこのへんでお開きとさせていただきます。

 
 
弱くて小っちゃい“マイケル・弱小”

TRICERATOPSの和田唱くんのブログには、マイケル・ジャクソンさんに関するたいへんに熱い文章が複数あります。「うん、そうだ、そういうことだ。オレも実はそう思って、うん。」、と何度も頷きながら読みました。すごいです。皆さまも是非お読みください。


2009/07/31



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