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Friday Column

No.186

『ぜひ行きたいコンサートがある』

私もモノを発信する職業人として一応新聞なんかとって読んでた時代もあるにはあるんですが、なんかだんだんバカバカしい気分になってきて数年前にやめました。特にパリからの帰国直後なんかはもう、日本のマスメディアというものが、どれもこれもただの宣伝媒体に見えたものです。まぁ、視聴率至上主義のテレビのニュース番組なんかはもう誰が何を言ったところでしょうがないとあきらめたとしても、新聞くらいはまだなんとか報道としての品位を保っていると思っていたんですが、それもとっくに堕落してました。貴ノ花さんが亡くなった時には日本の国技の歴史的人物に敬意を表するヒマなどなさそうに、若貴兄弟の確執ばかりを老舗女性週刊誌と同じ目線でどの新聞も書き立てました。横浜の佐々木主浩投手が引退した時の、私がとっていた新聞のたいへんに失礼な書き具合にはもうホトホト嫌気がさして、こんなの読んでるより自分の考え方だけで物事を解釈した方がよっぽどマシですよ、なんて思うようになったりして、・・・ってことは05年ですかね、そんなこんなで新聞とるのをやめたんですが、今でも少なくとも週1回、飛行機に乗った時くらいは新聞読んでます。といっても読むのは国際面・スポーツ面・4コマ漫画程度で、あとはコンピューター開いてこの原稿書いてるってのがほとんどですけど。そんな今週、福岡から戻る日航機ではたまたま書くべき原稿もなかったので他の面も読んでたら、けっこうおもしろいの見つけたんで今回はそのあたりについて書いてみたいと思います。

11月30日の朝日新聞1面の見出しは『裁判員候補 私が?』。はい、今話題の裁判員制度です。これってどうなんでしょうかねぇ。私は疑問に感じたことについては最低でも異なる3通りの考え方をしてみて、その上で、うぅぅぅん、どうなんでしょうと自分の考えをまとめるようにしていますが、この裁判員制度に関しては、どっち方向からどういう見方をしても日本には全く必要のない制度だと思えます。だって単純に考えてそうでしょう。何の知識も無い人が、人を裁く一員になるんですから、どっちからどう考えたってナンセンスです。専門家つまり職業裁判官にまかせるべきです。

じゃぁなんでそんな制度が施行されるんでしょうか。どうやらイギリスの陪審制ってのが始まりで、先進諸国はもうずっと前からそれぞれの形で取り入れているみたいですから、たぶん、アメリカさんに「お前もやれよ、先進国だろ」と強く言われたんだと思うんですけどね。多民族国家アメリカにおける裁判では、異なる人種間の倫理観・常識感の違いによる問題と切り離して考えにくいケースが多くあることは容易に予想されますから、いろんな意味で陪審制は有効な場合もあるんじゃないかとは思いますけど、それを日本にそのまま当てはめることにはたいへんな無理が生じるでしょうよ。

実際に通知を受けた人はどんな感じなんでしょうか。基本的には「えぇぇ、マジ、ちょっとどうやったら辞退できるんだっけ」って方が多いと予想できますが、中には「よっしゃぁ、キターッ!」とよろこんだ人もいるんでしょう。私も私なりに“もし裁判員に指名されたら”と考えてみましたが、・・・うぅぅん、あまり深く考えることなくそりゃ“辞退”でしょう。だって法律に関してなぁんの知識もないですから。そんな私が人を裁く一員になれるわけない、というか、なっちゃダメでしょう。いや、でもちょっと待てよ、別の考え方をすれば、じゃぁこの機会に法律のことガァーッと勉強してみるか、というポジティブな考え方もなきにしもアラブ。しかし、それまで法律の専門的な勉強などしたことのない私が数ヶ月やったところで、やはり人を裁く一員になるというのは、無理があり過ぎでしょう。もうひとつ別の安易な考え方をするならば、「こんな機会は人生に一度あるかないかの、たいへんに希少なことだ」と思うと、“せっかくだから”やってみるか、という考え方もなきにしもアラブ首長国連邦。いや、でもやっぱ、それは違うでしょう。滅多にありえない機会だからといって、“せっかくだから”気分で何の知識もなく人を裁くことに参加するなんてのは、やはり人としてNGでしょう。監督直々のラブコールで“せっかくだから”と、できるかどうかもわかんない演技に挑戦、映画に医者役で出演しました、だったらまだシャレになりますけどね。というわけで、やはり私はどう考えても“辞退”です。やっぱおかしいですよ、この制度。専門家にまかせるべきです。百歩譲ったとしても、最低限の知識を持つ人のなかから選び指名するべきでしょう。例えば【日本裁判員検定】ってのを作って、その1級合格者のみで裁判員を構成するとかね。

と、今週はちょっと難しそうなことを書くフリをしてみましたが、「オレだって、たまにはまともにモノ考えたりするんだぜ」と見せかけておいて、「へ、コイツ、46にもなって世の中のこと何にもわかっちゃいないんだな」と読み手に意味不明の優越感を与えるってのも、ある意味・逆に・ある反面、ひとつの狙いです。さて、ここから先は得意のチャカシなので、テキトーな気分でお読みください。

同日の朝日新聞39面に関連記事『通知来ちゃった』ってのがあり、そこに<どんな場合に裁判員を辞退できるか>ってのが載ってました。これ、すごく微妙でおもしろいですよ。以下新聞からの抜粋引用です。

<どんな場合に裁判員を辞退できるか>
【○=辞退できる】
・重い病気やけがで入院・通院している
・妊娠中や出産後8週間以内の女性
・本人でないと大きな損害が出る仕事がある
・子どもの中学受験日やその直前、親の面接がある
・腰痛で長時間座っているのが困難

【×=辞退できない】
・裁判員になるのが不安だ
・職場の同僚に仕事の負担がかかる

【△=場合により認められる可能性も】
・体調が悪く、裁判所まで通うのがつらい
・学校のPTAや地元の自治会の会議がある
・習い事や、ぜひ行きたいコンサートがある

さぁ、どうですか、徹底的にビミョーですよね。

【○=辞退できる】の項目をみると、個人名義でコンサートツアーを行う私の場合は“本人でないと大きな損害が出る仕事がある”ってことで、容易に辞退できそうなので安心しましたが、その下の“子どもの中学受験日やその直前、親の面接がある”はどうでしょう。“中学受験”は辞退できるけど、“高校受験”はダメなんだ、ってことですかね。じゃぁ“幼稚園のお受験”は? 東京に住んでいると、中学より高校より“お受験”がいちばん重要な気もしますけど。“腰痛で長時間座っているのが困難”については、本当に腰痛で苦しんでる方もいらっしゃるでしょうけど、基本的には“言ったもん勝ち”なニュアンスを充分含んでいます。

【×=辞退できない】の項目の“職場の同僚に仕事の負担がかかる”はどうでしょう。これって、“同僚に負担”だけでは済まないどころか、職場内の人間関係に大きな影響を及ぼすことが考えられますし、裁判員としてやるべきを終えた後、元の仕事に復帰できるかどうかの保証問題を誰もが問いたくなるのは必至です。

最もウケたのが【△=場合により認められる可能性も】のいちばん下。“習い事や、ぜひ行きたいコンサートがある”、これ、どうでしょう。「今回のビリー・ジョエルは東京ドーム1日公演だけですし、それに私そろばん塾に通ってますから」ということを強い口調で申し出れば辞退できるかも、ってことです。でも誰がどのようにその可否を判断するんでしょうか。「Mr.Children」は認めるけど「KAN」はダメとかあるんですかねぇ。だったらイヤだなぁ。どうあれ、音楽好きならどなたも辞退できる可能性があるってことだからよかったですよね。“職場の同僚に仕事の負担がかかる”が認めらんないんだったら、もう積極的に音楽を聴いてコンサート行きまくるしかありません。あぁ、なんだか音楽的な終わり方だなぁ、今回。

では、最後にじぇんじぇん関係ありませんが個人的状況報告をひとつ。



愛機【P205】のアンテナ折れました。ってゆうか、取れました。アンテナに無理な加重がかかってポキっと折れたのではなく、電話をかける時にいつものようにアンテナを伸ばしたら、ポロッと取れました。いわゆる“疲労骨折”って言うんですか、こういうの。あ〜あ、でもそんなに笑わないでください。確実にその日が近づいてきているのですから。【P205】に関してはコラムNo.178,179をお読みください。はぁぁぁ。

明日は日本武道館で『シャ乱Q結成20周年LIVE』、ちょろっと出演します。

2008/12/05



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