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Friday Column

No.112

『香港』



香港がイギリスから中国に返還されて7月1日で丸10年が経ちました。だからなんだと言われたら別になんでもないんですが、でも今週は香港について何か書きたいなと先週から思っていました。私が香港を訪れたのはこれまでに5回、通算で12泊くらい。5回も行ってんだからココロ温まる思い出やコカン燃えたぎるエビソーダのひとつやふたつくらいはあるだろうと先週から考えてはいるんですが、それがどうにもコレといった話がないんです。しかし、今週はこれだぁ!というトピックも他にないもんですから、とりあえず香港についての記憶をたどってみることにします。

私の初香港は1988年のたしか8月、コラムNo.016にも登場する仕事仲間の多田っちが「KANちゃん、香港行こう!」といきなり言ってきたので「いいよ」ってことで男二人の単なる旅行。私にとっては2回目の海外、多田っちは海外どころか飛行機自体が初。泊まったホテルは尖沙咀(チムシャチョイ)の『Holiday Inn Golden Mile』。ツアーで行ったもんですから、自分の足で歩くことは少なく、食事も団体で連れて行かれて決まったもんが出てきて、どうぞどうぞと遠慮しながらみたいな感じだったんで、あんまり覚えてません。当時はツアーと言うとそんなもんだったんでしょう。前年の人生初海外、中国・大連が素晴らしい思い出だっただけに「香港って中国じゃないんだぁ・・」という淡い残念感があったような。テキトーに楽しかったですけど。


まだ旅行慣れしていない若い観光客/88年

2回目の香港は91年のたしか9月、生まれて初めて憧れのフランス・パリに旅行に行くことになり、しかし当時はまだ自分でいろいろ手配するという発想がない、フツーのタレントさんっぽい私だったもんですから、会社関係の知り合いになんとなく日程だけを伝えて手配を頼んだところ、受け取ったチケットは香港経由、しかもなぜか香港に2泊、という不思議なものでした。後で聞いたら香港乗換ルートがかなり安いらしいということで仕事でつながりのある香港のプロダクションにチケット購入を依頼したところ、「せっかくならば香港にも滞在してくださいね」ということで2泊することになっていた、ということでした。なんとなくたのんじゃったのは私なんですから仕方がありません。ってことで香港では、チケットを手配してくれたプロダクションのケイティさんと部下のウォルターくんが何から何までばっちりケアしてくれたもんですから、ホテルは『Regent』(現・Intercontinental Hong Kong)のハーバービューで100万ドルの夜景を独り占め、高級レストランからバリバリの屋台までおいしいものやめずらしいものをたくさん食べまくる楽しい2夜だったのはだったんですが、心の中では香港ではなく早くパリに行きたいなぁと思っていたのはいなめなめなめなめません。

3回目は仕事です。92年の何月頃かは忘れましたが、『愛は勝つ』を中国・香港・台湾では知らない人はいないといわれる大スター・張学友(ジャッキー・チャン)さんがカバーしてヒットしているってことで、今後香港に展開できるものかと様子見を兼ねて、レコードメーカーも含めた会社関係者4人で行きました。すべてのスケジュールをコーディネイトしてくれたのは、前年にもお世話になったケイティさん。あくまで“張学友のヒット曲の元のひと”という存在感で新聞や雑誌の取材を受け、香港製作の『MTV ASIA』のインタビュー番組にも出演しました。しかしなぜか私は英語が堪能だということになっていて「えぇぇ〜、ダメっすよぉ〜」なんて言ってるうちに通訳なしで収録に突入。最初の自己紹介や「香港は好きですか」程度の質問にはなんとか自力で対処したものの、「キュー・サカモトのスキヤキ・ソングが世界中で愛されているのはなぜだと思いますか」なんて難しいこと聞かれだしたらもうギブアップ、「Help me、ウォルターくん」ってことで間に入ってもらいました。で、その質問にはなんと答えたんでしょうか。たぶん「世界中に愛されるということは、まずアメリカで支持されるということ。スキヤキはアメリカ人の心に響く素晴らしいメロディだったのでしょう。」とかなんとか言ったような気がします。この晩、香港島側で食事をした後、ホテルに戻る車の中でケイティさんが「KANさん、この美しい夜景をおぼえていてください。97年に香港は中国に返還されて、この光は消えてしまいます。この夜景をおぼえて、そして歌を作ってください」ということで「わかりました、この夜景をおぼえて、必ず歌を作ります」と約束し、翌年発表したのが『香港SAYONARA』(アルバム・TOKYOMANに収録)というわけです。ホテルは『Ramada Hotel』(現・Langham Hotel Hong Kong)でした。


お世話になったアレックスくん(左)とウォルターくん(右)/92年

4回目はまたも乗換目的。94年5月の連休、「よし、ベトナム行こう!」と突如思い立ちましたが、当時はまだ日本からの直行便は飛んでなかったもんですから最短距離の経由地としての香港。往きは同日便に乗換えてホーチミン入り。帰りは夕方香港に到着し1泊しました。この時のホテルはたしか『Hyatt Regency Hong Kong』。ケイティさんに『香港SAYONARA』の感想を聞こうと思ってたんですが、カナダに行ってるかなんかで、彼女の部下の、えぇ〜っと名前はなんだったっけ、カーリーじゃなくてウェンディでもなくて、とにかく20代の香港女性が食事にお供してくれて、新しくできたペニンシュラのタワーの最上階にあるガラス張りで360°夜景に囲まれたカッチョイイバーに連れてってくれました。


夜な夜なひとりでヴィクトリアピークへ/94年

5度目は96年たしか7月。「返還前の香港をちゃんと見ておこう」という思いで、初めて自発的に、そして初めて地図とガイドブックを見ながら自分ひとりで歩いた香港でした。フェリーに乗ってバスに乗って、二階建ての路面電車は特に気に入って10回くらい乗ったような気がします。ホテルは『Mandarin Oriental』初めての香港島側です。当サイトの『History 1990-93』の写真、実際にはこの時このホテルの部屋のベランダから九龍側を向いて自己撮影したもの。双眼鏡は部屋の備品です。たまたま仕事で来ていた友人とおちあって食事をしたレストラン『Man Wah』の料理は、それまで食べた中華料理のなかで最も素晴らしいものでした。


歩きすぎてもうグッタリ/96年

そして97年7月1日、香港は中国に返還されました。特別行政区ということで美しい夜景の光は消えることなくそのまま残り、私とは何の関わりもなく10年が経ちました。

とまぁざっと振りかぶってみましたが、ね、ないでしょう、ないんですよ、コレといった話が。ひとつ言うことがあるとすれば、夜景を見るならホテルは九龍側にして香港島を望むほうがいいと思います。私が泊まった5つのホテルでオススメは断然『Regent』(現・Intercontinental hong Kong)です。高いよ〜。


九龍側から香港島を望む/92年

というわけでヤングでフレッシュな写真なんかも軽く見ていただいたということで今回はこれにておひらき。来週どうするかは未定どぇす。

2007/07/06



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