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Friday Column

No.018

『楽しさの器』

先日、土曜のお昼にラーメン屋さんでラーメン待ってたら、お店のテレビでやってたバラエティ番組で、松平健さんがなんかのイベントの大トリに出て『マツケンサンバ』で大フィーバー!、って話題をやってて、「これ、いいよねぇ〜」なんて言いながらなんとなく見てたら、なんだか『マツケンサンバ』のプロモーションビデオが流れだしました。キンキラの着物を着た大勢のお嬢さん方が棒や扇子を持ってシャシャシャ〜って踊ってて、で、マツケンさんが登場、「アモ−レ、情熱の赤〜♪」なんて軽やかな松田聖子式ステップで歌います。「おぉっ、コレちゃんと見るの初めて」と真剣に見てみたところ、私の知っている『マツケンサンバ』とサビのメロディが微妙に違ってて、あれ?と思いながら見ていたら、私の知っている『マツケンサンバII』ではなくて、新作『マツケンサンバIII』のプロモーションビデオでした。うぅぅ〜ん、なんかわかんないけどスゴイ。あのデッカイ顔にあの時代劇メイクで、あのギンギラ着物、それでいてサンバ。見ていてなぜか明らかに楽しい。この沸き上がる楽しさはなんなんだ、ってくらいに楽しい。私としてはめずらしくラーメン食べる箸を止めて、「これ、フランス人が見たら喜ぶよなぁ〜」なんて思いながら見入ってしまいました。

普通にあり得そうなことですが、たとえば、この『マツケンサンバIII』が“今、日本で大人気の曲”としてフランスのテレビで紹介されたとしたら、どうでしょう。日本人にとってはヒットソングとしてはある種“異常”とも言えるこの映像も、フランス人にとっては「へぇ〜、今でも日本人にはやっぱりこういうサムライスタイルがウケてるんだなぁ、なるほどねぇ」と結構普通にとらえられるでしょう。でも、いいじゃないですか、楽しい日本の楽しい映像なんですから、どう解釈されたところで楽しいことには変わりはないんですし、実際、多くの日本人がこの『マツケンサンバ』を楽しんでるのは事実なんですからね。

私たちだって、外国のことをどれだけ認識しているかっつったら、テレビで流される映像を見ただけで「今、その国はそうなんだ」となんとなく認識しているわけで、映像を流す側も、見る側に期待されている、引き付ける映像を切り取ってるんでしょうしね。そういう意味で言うと、中国で日本大使館や日本系スーパーに投石したりする映像ばかりが繰り返し流れて、それを見た多くの人がなんとなく「なんだよ中国、最悪じゃん」と単純に思ってしまうのは中国好きの私としては非常に悲しい風潮ですし、「北朝鮮」について日本のテレビで流される映像の偏り方っつったら、中国の比じゃないですからね。まぁ、しかしそれをお茶の間で見ている人ひとりひとりにはなんの責任もないわけですからね。まぁ、報道番組についてなんやかんや言い出したら私の場合キリがないので話をカラッともどします。

しかし、この『マツケンサンバ』の松平健さん。あのメイクであの衣装であの松田聖子式ステップですからね、普通に考えりゃはっきり言ってタイヘンキモチワルイオジチャンですよね。しかも、松平健さんの長年にわたる様々な活動のほんの一部を切り取って、その部分だけが異常に拡大されているわけで、本来、松平健とは何者でどのような作品を残してきたのか、なんてことはまるっきり度外視系でしょ。しかし、なんなんでしょう、この楽しさは。きっと御本人・松平健さんの、なにかいろんなことを超越した人間の器のデカさ、というか、おおらかさというか、そのようなもんが、なんかわかんないけどスゴく楽しいなぁ〜と感じさせるんでしょうかね。それに加えてあの振り付けの真島さんって方もまたイイですよね。バットマンでいうとロビンみたいに重要な存在です。

そんな『マツケンサンバ』、みなさんはすっかり御存知のことでしょうが、調べてみると、もともと松平健さんのステージで、前半は時代劇、後半は歌謡ショー、その歌謡ショーでの盛り上がりナンバーとして、すでに1994年に完成していたものらしいんですね。もっとさかのぼれば、84年に「松健音頭」、87年「松健数え唄」。同じ年に「マツケンマンボ」が登場し、「マツケンでGO!」なんてのもありながら、すでに92年には「マツケンサンバ」の第1弾が発表されていたのです。で、94年に『マツケンサンバII』が出たってことは、92年の「マツケンサンバ」がお客さんにかなり好評だったことが予想されますね。これが最近なんらかのキッカケでテレビにのり、広まったのでしょう。いわゆる誰かがポッと思いついておもしれぇってことでいきなりブレイクしたわけではなく、ちゃんと長い長い活動の歴史に裏打ちされた必然の大ブレイク、いわゆる“ホンモノ”なわけですよ。松平健さんをずっと長いこと応援し続けているファンのみなさんからしたら「あぁ、サンバね、大好きですよ。でもなんで、今頃?」ってなことなのかもしれませんね。

そうかぁ〜、そうだったのかぁ。まぁ、そういう意味ではコンサートで毎年毎年いろんな企画を繰り返し試みてきた私に置き換えて考えることもさほど無理ではないような気がしてきました。例えば『スティーヴ・椀田』。そのネーミングからお察しいただけるかとは思いますが、私の最も尊敬するア−ティストのひとり「スティービー・ワンダー」さんに憧れ、強く影響を受けて作った楽曲を演奏するにあたり、外見的にも近づけるべきだと考案したキャラクターです。奇しくも「マツケンサンバII」が完成した94年にスティーヴ・椀田は『焼肉でもいきましょうよ』で初めて登場し、翌95年はスティーヴ・椀田を登場させるためだけに作曲された「Sunshine Of My Heart」を演奏。98年には新生『メカ・スティーヴ・椀田』として登場し、名曲「Song Of Love」でコンサートのフィナーレを飾りました。

もしもこの『スティーブ・椀田』が94年以降毎年ず〜っと登場し続けていたとしいたら、もう10年以上のキャリアですよ。これが、たまたまなんかのハズミでテレビにのっかって、ブレイクしてごらんなさいよ。私はあのヅラかぶって、あの衣装でテレビに出て『焼肉でもいきましょうよ』を明るく楽しく熱唱するわけです。昔から応援してくれているファンのみなさんからしたら「わ〜、椀田さんだぁ、なつかしい〜」ってなもんでしょう。振り付けはもちろん野沢トオル。で、これが結構人気が出ちゃって、さぁさぁ続編作りましょうってことで、『バシッ!と焼肉でもいきましょうよ』『焼肉いっちゃったりなんかしちゃったりなんかしてぇ』と好調に続き、ちょっと雰囲気を変えようとした『ホルモンなんてどうでしょう、逆に』で軽くハズしはするものの、めげずに『ジンギスカンで親近感』で巻き返します。この『ジンギスカンで親近感』のプロモーションビデオがなぜかヨーロッパに紹介されて、70年代に一世を風靡したドイツのディスコグループ「ジンギスカン」とスティーヴ・椀田のジョイントでヨーロッパツアー。そして遂に本家本元スティービー・ワンダーが・・・とまぁ、想像するとかなり楽しそうじゃないですか。

考えようによっちゃ、今からだって別に遅くはないとも思えるんですが、しかし問題は、そんな状況をこの私が、松平健さんのようになにかを超越した大きな器でおおらかに受け止められるかどうか。このことが見る側が真に楽しめるかどうかの重要なポイントだと思うんですよね。そう考えると、やっぱ、無理かなぁ〜、私には。器ちっちぇ〜からなぁ〜。とりあえず『マツケンサンバ』のDVDでも買って、研究ですね、器の。

今からでも遅くない?
メカ・スティーヴ・椀田(98年)
2005/09/16


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